言語多様性と消えゆく言語たち
私たちのほどんどは、自分たちが消滅するなんてありえないと思っている。
ドードー鳥もそう思っていたのだ。— William Cuppy
世界にはいくつの言語があるのでしょうか?知っている言語の名前をあげてみてください。いくつの言語が思い浮かびましたか? 10? 20? いや、世界の国の数がだいたい200程度と考えると、200くらい?じつは、世界には7000以上もの言語が存在するといわれています。たとえば「アメリカ合衆国の言語は何?」と問われれば、一般的には「英語」と答える人が多いでしょう。ところがアメリカに存在する言語は優に100を超えます。アメリカは移民大国と呼ばれるほどの国ですから、さまざまな母語をもった人々が共にくらしているということは想像にかたくありません。しかし、移民ではなく先住民の言語も存在することを忘れてはいけません。ヨーロッパ人の入植以前のアメリカでは、300もの先住民語が話されていたといいます。入植者たちが持ち込んだ病気が原因で民族が滅亡したり、先住民語を話せば罰せられるために英語の選択を余儀なくされたり、あるいは生活のためにみずから英語を選択したりといった理由で、先住民語は衰退の一途をたどり、現在では100程度にまでその数が減少してしまいました。しかも、そのうちのほとんどの言語もいまや流暢な母語話者は少なく、風前の灯火です。
日本の言語は何?と問われれば、たいていの人は「日本語」と答えるでしょう。あるいは「北海道の方にアイヌ語っていうのもあったっけ」とつけくわえる人もいるかもしれません。しかし、ユネスコによると日本には9つの言語が存在します。日本語、アイヌ語のほかに東京都八丈島の八丈語、それに6つの琉球諸語(国頭語、沖縄語、奄美語、八重山語、宮古語、与那国語)です。琉球諸語は一般的には沖縄方言とひとくくりにして捉えられがちですが、実際には日本語と音声も語彙も文法すらも異なる体系をもった言語なのです。しかも、驚くことに琉球諸語6言語の間にも相当の相違がみられます。たとえば沖縄語では「ありがとう」を「にふぇーでーびる」と言いますが、宮古語では「たんでぃがーたんでぃ」、八重山語では「にーふぁいゆー」、与那国語では「ふがらっさーゆー」といいます。琉球諸語は、けっして方言ではなく、それぞれの島で独自に発展したれっきとした言語なのです。しかし、残念なことに、いずれの琉球諸語もいまや流ちょうな話者をほとんど失ってしまいました。このような例がみられるのは何も日本やアメリカだけではありません。先住民語の衰退・消滅は世界各地で起こっており、50年後には現存する世界の言語の半数は消滅しているだろうと予測する言語学者もいます。
では、言語の多様性はなぜ必要なのでしょうか。たとえば南米アマゾンの未開の森に住む民族の言語がなくなったとして、何の問題があるのでしょうか。じつは、このホームページの「ことばと環境」のコラムにもあるように、言語は私たちを取りまく環境と密接に関係しています。とりわけ少数民族の話す危機言語には、彼らが自然と共存するための智恵が詰まっています。驚くことに、現代科学によっていまだ分類・命名されていない動植物は世界に87%ほどあるともいわれていますが、このような動植物に関する知識も生活における利用価値とともに先住民族のことばのなかに蓄えられている場合も少なくありません。言語人類学者のハリソンは以下のように述べています。
(諸言語の)地域的な結びつきがなくなれば、人間という種全体とこの地球との結びつきも薄れ、資源を枯渇させずに使っていく能力も、この惑星を大切にするための判断力も失われていく。無人の砂漠から太平洋の珊瑚の海、アンデスの氷河からヒマラヤ山脈のふもとまで、私たちが生半可な理解のまま生態系に大きな負担をかけてしまった地域がいくつも存在する。危機に瀕した言語こそ、こうした生態系およびその一員である人類の立場をより深く理解するための鍵なのである。(ハリソン 2013:16)
危機言語の消滅は、人間がこの地球上で生きていく術を永遠に手放すことに他ならないのです。